元気隊ロゴ

がん・バッテン・元気隊のホームページです。福岡市を拠点に、がんに関する役立つ情報発信をしています。

トップ > 体験談・書籍 > 治療体験談(血液・リンパ)

血液・リンパ 治療体験談

3つのがん体験から ~失敗から学んだがん治療中の再就職体験newマークオレンジ色点灯
  • 急性骨髄性白血病/再発・乳がんサバイバー
  • 山内千晶(がん・バッテン・元気隊、運営委員・副代表)
  • 2018.8掲載
最初のがんで自ら退職してしまう
2004年。33歳だった私は、5歳と小学1年生の娘を持つ普通の主婦でした。
仕事は地域の訪問看護ステーションに正社員で勤務。ちょうど介護保険制度が導入されたばかりで多忙でしたが、家から職場が近く、子育てと両立しながら日々を過ごしていました。
そんな時、止まらない咳が気になって受診すると、急性骨髄性白血病の診断を受け、その日から私の生活は一変したのです。まさに青天の霹靂でした。それでも主治医から「白血病は不治の病ではない。仕事は辞めなくてもいい」と言われ、上司からも「元気になって戻っておいで」とも言われていたので、仕事は続けるつもりでした。しかし、待ってくれる人ばかりではなく、長期間にわたる治療と、治療後どれくらいで職場復帰できるかの目処が立たないことで「いつまで休むかわからないのは困る」という意見もあり、職場の人たちに迷惑をかけてしまうことがプレッシャーとなって、自ら退職を選びました。

再発・骨髄移植後の再就職活動は、ことごとく不採用
治療後、新たに仕事を探しましたが、2006年に再発。今度は骨髄移植(造血幹細胞移植)が必要と言うことで、ますます先が読めない状態になってしまいました。正直、この時は「仕事を辞めてよかった」と思いました。なまじ復職していたら、また迷惑をかけてしまった、と考えたからです。
白血病再発治療は2007年、骨髄バンク経由で骨髄液(造血幹細胞)を提供してくれるドナーが見つかり、無事に移植をすることができましたが、その後も免疫抑制剤などの服薬や、それに伴う免疫の低下による感染症の心配など、日常生活に支障がない状態に戻るのに約3年かかりました。いくぶん体力も戻り、通院の間隔も空くようになったので、先々の教育費なども考え、再就職を目指し、動き出しました。しかし最終面接までこぎ着けても「病後のため、通院が必要です」というと、必ず「治療に専念してください。」といわれ、結局不採用というパターンが続き、だんだんと再就職に対する意欲もなくなっていきました。就職活動中もキャリアアップのため資格取得もしましたが、思うようには行きませんでした。
そこで再就職は諦め、命を助けてもらった恩返しに、といろいろなボランティア活動に参加するようになりました。血液疾患の患者さんを支える会や、骨髄バンクのドナー登録のお手伝い、がん患者を支援するための活動など、どこかで社会とつながっていたい、という思いがきっと心のどこかにあったのだと思います。

▲熊本県庁での骨髄バンクドナー登録会にて

3度目のがん治療中に、念願の再就職を果たす~面接で「どうしたら働けますか?」と尋ねてくれた職場
移植からほぼ10年を経過した2016年、やっと白血病のことを考えないようになっていた矢先に、今度は両方の胸にがんが見つかりました。乳がんです。「なぜ今になってまた。」「もう一度、治療をしないといけないのか」と再びのがんに心は折れましたが「生きるためには治療をするしかない」と覚悟を決め、左胸全摘、右胸温存手術を受け、その後も抗がん剤、放射線治療とがん治療のフルコースを受けることになりました。
そんな時、母校の県立高校から「働かないか?」という打診を受けました。ボランティア活動で講演活動などをしている様子が、たまたま新聞やテレビに取り上げられたのを見て、声をかけていただきました。しかし、まさに抗がん剤治療中。白血病の時と違って、外来で通院しながらの治療ではありましたが、働くとなるとやはり正直に今の状態を説明しなければ迷惑をかけることになってしまう、と思い、今の状況を先方に話すことにしました。白血病の既往があることは承知の上でしたが、その後の乳がん治療までは…という思いもありました。これまで病気のことを話すと、すべて駄目になってしまっていましたが、黙って仕事を引き受けても、後々のために良くない、と考えたのです。すると意外な言葉が返ってきました。てっきり駄目になると思っていたのですが、先方からは「どうしたら働けますか?」と尋ねられたのです。


▲命の授業で中学校訪問

私は治療のこと、今後の予定のこと、左腕は腋のリンパ節にも転移があり、切除しているので、重い物が持てないこと、まだ三週間に一度の通院が必要だと言うこと、放射線治療は25日間毎日になるので、遅刻か早退しなければならないことなどを伝えました。そして同時に、自分が持っている資格のこと、パソコンや文書作成は得意だし、電話応対や接客は問題ないこと、それ以外にもできないこととできることを整理して説明をしました。
結果、採用となり、原則週3回の非常勤での勤務となりました。通院日は出勤日を振替や有給で対応、できないことはちゃんとこちらから説明し、お願いするなど、就職してからもそのつど微調整をしながら、今に至ります。こちらから説明しないと、相手側からは遠慮して聞きにくいことがある、ということも微調整をする中で得た「気付き」です。
また職場では業務上、必要な人には病気や勤務についての話はしていますが、直接関わりのない人にはあえて話していません。隠している訳ではなかったので、今は職場のほとんどの人が私の状況を知っていますが、問題はありません。

辞めない・再就職をあきらめない・自分にできることをアピールする
今、振り返ると最初の白血病の時に辞める必要はなかったと思います。職場からの直接の退職勧奨はありませんでした。その時は「自分の問題」で離職を決めてしまいましたが、治療後はずっとそのことを後悔していました。今は新しい職場で気持ちよく仕事していますが、もし再就職していなければ、今でもずっとやりがいのあった仕事を自ら手放してしまったことを後悔していたと思います。
ですから今の職場では、「わかってくれているはず」と独り合点せず、時々見直しをしながら、無理なく勤務できるように、責任をもって仕事をこなせるように、体調やスケジュールを調整することを心がけています。再就職がゴールではなく、その後も引き続き、自分の状況を把握しながら、必要であれば説明もし直すことも視野に入れて仕事を続けていくことが大事だと思います。

▲職場の県立高校の文化祭にて

まずは辞めない。辞めずに働ける道を探してみる。そして辞めてしまった後は自分の状況をしっかり把握し、できないことばかりではなく、できることもちゃんと整理して自分から職場に発信していく。これは最低限患者として必要なことじゃないかと感じています。
なにより私に「どうしたら働けますか?」と尋ねてくれたこの一言が、がん患者が仕事をする上で、とても有難いことだと思っています。難しいこともあります。理解を得られないこともあります。体調が悪いときなどは、ちょっとしたことで心が折れてしまうこともありますが、まず自分にできること、できないことをちゃんと整理し、その上で責任ある仕事をするために職場に働きかけていくこと。そのためにはきちんと自分の病気に向き合う必要があること。それが3つのがん治療体験を持つ私が強く感じることです。
体験談を投稿する!»
投稿する画像

ほかの体験談を読んでみる

ページのトップへ戻る