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大腸がん 治療体験談

目次

標準治療と治験薬、そして家族の支えで...
  • 平野由美子/2017年9月
3年前から毎年、精密を受けて下さいと
  • T・I/2016年9月
標準治療と治験薬、そして家族の支えで...newマークオレンジ色点灯
  • 平野由美子(久留米市・『がんサロンちっご』虹の会)/2017年9月
平成18年、脚の痛みで発症。卵巣転移を伴う直腸がんステージⅣ。
11年前の4月のある日、突然、右足がつり、激痛で歩けなくなりました。整形外科を受診しましたが、当初の診断では経過観察ということで原因は追及していただけませんでした。とても不安でした。再検査を懇願して1ヶ月後に分かった病名は直腸がん。卵巣と腹膜に転移がありました。右足の激痛は、転移した卵巣による神経圧迫が原因でした。家族には余命1か月と告げられました。その時、私は47歳。夫は3人の息子たちと話し合って、私への告知を決めたそうです。大学2年、受験を控えた高校生・中学生の息子たちには衝撃的な出来事だったと思います。

告げられた私も「死」の文字しか浮かびません。
息子達の成長が見られなくなる、伝えきれてないこと、日常のことなど 私の頭の中はパニック状態で、限られた時間に対する焦りで一杯でした。

平成18年6月、直腸がんと卵巣転移摘出手術。人工肛門造設
告知されて1週間後に手術を受けましたが、目が覚めた時には人工肛門がついていました。パニック状態です。私は人工肛門がどんなものなのか知らなかったのです。「元の体に戻して欲しい」と先生に泣きつき、現実を受け止めることができませんでした。

術後の説明から命が短いことを察し、勧められた化学療法も拒みました。
ドラマの世界の、副作用で苦しみながら最期を迎えるがん患者の姿しか浮かんでこないのです。そんな姿を息子達に見せたくなかったのです。
夫は免疫療法などいろんな治療法を探す為に病院回りをしていました。セカンドオピニオンも申し込んでくれていました。

拒んでいた化学療法を受ける
セカンドオピニオンを引き受けてくださったS医師から、「厚労省が認めた標準治療が、最も効果が期待できる」「治ると思って頑張ってみなさい」と言われました。その言葉が頑なに治療を拒んでいた私の心に響いたのです。S医師のアドバイスがなかったら今の私はありませんでした。化学療法を受けるきっかけになりました。
治療に前向きになった矢先、ポート挿入がうまくいきませんでした。担当医師とコミュニケーションがとれなかった私に、主人は転院を勧めてくれました。治療には医師との信頼関係が大きく影響するという知人のアドバイスがあったからです。

平成18年8月、臨床試験の化学療法が功を奏する
転院後、担当医O先生に出会い、臨床試験の化学療法を勧められました。
8ヶ月に及ぶ治療でしたが 効果は1クールで出ました。画像に残っていた腫瘍が消えていました。副作用も想像していた程ではありませんでした。元に戻せないと言われた人工肛門も平成19年5月閉鎖することができました。
「生きていけるかも?」と僅かな希望を持ち始めました。

3人の息子たちの支え
外出するきっかけとなる温泉旅行に招待してくれた長男。
1年生きれば新しい薬が開発されるから 近い時間での楽しみを目標にしていけば頑張っていける。陰に隠れた生活にならないように、「がん」であることを隠さないで…という次男。高校野球で一緒に甲子園へ行く夢を持たせてくれた三男。
心強く支えになってくれた頼もしい息子達です。

平成20年6月、再発
希望を持って暮らし始めて1年ほどして、再発しました。また「死」の文字が頭をよぎります。おまけに2度目の化学療法を始めた直後、副作用で血栓ができ、危険な状態になってしまいました。循環器の医師から夫へ「完全な処置方法はない」と告げられました。
三男が高校野球夏予選を目前にしていた頃で、甲子園への夢を語っていた私をみて病棟のM先生は、「こんな元気な人を死なせられないね」と、大学病院の血管専門医に相談してくださったのです。難しいと言われた血栓の処置を無事に終えた数日後、40度を越える高熱と吐き気に襲われました。敗血症と診断されました。また「死」がよぎります。M先生に助けていただきました。

平成21年2月、化学療法後、再発巣を取り除く手術を受ける
2泊3日での化学療法を13回受けました。
いくつもの副作用はありましたが、それは薬が効いているからだと自分に言い聞かせ、辛い副作用にも対処しながら付き合っていきました。
息子の野球の応援へ病院から駆けつけることもありました。

  7ヶ月に及ぶ二度目の化学療法の途中、M先生から思いもよらない言葉が…
「再発巣を取り除こう。根治手術です。その後2年間再発しなければ完治もありえます」。信じられませんでした。涙が溢れてきました。
余命1ヶ月と言われていた命が完治する日を迎えられることは 信じられないほどの喜びでした。平成21年9月 根治手術は成功しました。
再発を繰り返していた尿管を切断し片方の腎臓の機能はなくしましたが…生きられます。

根治手術から8年過ぎました!
一度は諦めて拒否していた治療でしたが、決して諦めてはいけないのですね。
今では過去にがんを患った人とは思えないと言われるほど元気にしております。
発病当初、生と死の綱渡りのような日が、夫の決断と、セカンドオピニオンで出会った先生の言葉がきっかけとなり、今の私があるのだと感謝するばかりです。

息子達の教育費と私の高額な治療費が重なり、治療をやめたいと言ったこともありました。仕事ができずに社会から遠ざかる寂しさと無力さを感じていました。
しかし、今では、病気のおかげで家族の団結、日々の生活の大切さ、人の優しさを感じながら生きています。

ピアサポーターとしての活動
根治手術から2年過ぎた頃 お世話になった看護師さんに相談しました。「私の体験談を、不安を抱えたがんの患者さんにお話して希望を与えられるようなピアサポーターとして支えていけないでしょうか?」。すると、久留米の「がんサロンちっご」を紹介していただきました。
サロンには発症当初の私と同じように、不安を抱えた方たちがいらっしゃいます。そこで私が努めてきたこと…楽しみを目標に生活していくことで前向きになれるし、免疫力も上がると信じ、諦めるような弱気にだけはなられないように…と心のサポートをしていきたいと、現在は「がんサロンちっご」にピアサポーターとして参加しております。 息子達も私の闘病経験や子供の立場から 苦しんでおられる方たちに寄り添っているようです。

病気が教えてくれたことも たくさんあります。
私が奇跡の生還といわれた頃から、さらに治療法も一日一日進歩しています。
「がんは完治する病気」と言える日が来ることを期待しています。
3年前から毎年、精密を受けて下さいと
  • T・I/2016年9月
自分は今年41歳になります。仕事の関係上、集団健康診断を毎年受けています。
3年前から毎年、便潜血検査で精密を受けて下さいと通知が来ていました。
でもトイレに行っても真っ赤な血みたいなのは出ない・痔かな?
お尻からカメラを入れるのも嫌だな!と思い、そのまま放置していましたが、去年1つ年上の先輩が大腸カメラでポリープ(悪性の)が見つかり、先輩も受けたならオレも受けてみないと!と思い、検査を受けました。

大腸カメラで腫瘍が大きく映っていて、腸の中にスキマが何ミリかしか残っておらず、「腸閉塞になってないことがおかしい」と言われました。後日、検査を聞きに行ったら、悪性と言われ、S状結腸ガンでした。
まさか自分がガンになるとは、早く病院で検査を受けていればと後悔しました。
ステージは2でした。

腹腔鏡手術を受けて、何も問題なく、入院から2週間で退院する事が出来ました(平成28年9月退院)。また術後の病理検査も問題ありませんでした。でも5年間の経過観察です。
現在は退院して2週間ほど経ちますが、ぼちぼち仕事にも復帰して、無理をしないように頑張っています。

今でも、早い段階で病院に行っていればと後悔しています。
大腸カメラは、ほとんど痛みもなく、思っていた以上に楽でした。この体験談をご覧になっている皆さまも、お尻からカメラを入れるのは抵抗があると思いますが、勇気を出して、大腸カメラの検査を受けて下さい。
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