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すい臓がん 治療体験談

目次

やはり患者同士しか共有できない思い(すい臓がん その2)
  • 福岡市 飯塚久美子/2011.2.1
現在膵臓がんと仲良くしているわけですが(すい臓がん その1)
  • 福岡市 飯塚久美子/2011.2.1
やはり患者同士しか共有できない思い(すい臓がん その2)
  • 福岡市 飯塚久美子/2011.2.1

▲娘の入学式/2010年4月

大学病院では標準治療のみ
4月27日大学病院の肝膵胆内科主治医の先生より改めて説明がありました。病状、治療については消化器内科先生とほぼ同じ内容でした。
ジェムザールを週1回、3週1休を1クールとして、初めの1ヶ月は入院で後は外来で可能。23日の消化器内科の先生の説明の時にも免疫療法の件を相談してみたのですが、大病院ではやっていないので自分の責任でやってほしいとの事でした。 薦める事も紹介もできないとの事でしたが、主治医には、私の方からもう一度、免疫治療は受けたいと思っていることを伝えました。

免疫療法は大学病院の他の科で臨床研究中、福岡で免疫療法を受けられるクリニックより血液検査等の資料が大学病院へ提供されている事などを説明し、治療のタイミング等クリニックと相談しながらやってもらいたいと要望しました。肝膵胆内科の先生からもジェムザールと免疫療法の相性は良いとの説明。頭から拒否ではなく聞いてもらえたことに安心感がありました。

1回目は吐き気止めを点滴後ジェムザール1500+生理用食塩水。副作用は1週間後に手足に発疹、ザーネ軟膏を処方。真っ赤な見た目程には、かゆくなかった。よって、2回目からジェムザールを1200にへ減らして点滴。ジェムザールには脱毛は無いと聞いていましたが、3回目くらいから抜けるようになりました。
入院中は、他に吐き気や発熱もなく退院。
2クールからは外来で治療しました。何回か吐き気や微熱、倦怠感がありましたが、大したことはなく、今まで治療を休むことなく続けられました。

目に見えない副作用といわれる骨髄抑制(肝臓の数値や白血球、血小板の減少など)はあり、ウルソ(肝臓の薬)を1日6錠、アシノン(胃の薬)を1日2錠服用。治療を中止するほどの数値には至らず、今日まで来ています。
2クールに1回のペースでCT検査。
6月、9月、11月、1月のCTでは、発病時の4月より腫瘍はだんだん小さくなっています。胃の浸潤部分と腹膜播種はあまりわからなくなり、原発部分も小さくなっています。腫瘍マーカーCA19-9も、4月に72.6だったのが、7月以降は27.1→21.9→25.2→29.0→33.0と推移。

今年に入って、「1月のCT検査で胆管の通りが良くないように見える」と言われました。「腫瘍マーカーが若干上がってきているのも、その影響かもしれない」とのことで、2月4日にMRI検査予定です。
ウルソは胆汁を増やすので、1日3錠に減らすことになりました。
他の注意事項としては、免疫力が低下しているので、うがい、手洗い、外出時のマスク等、感染症にかからないように気をつけています。夏に食中毒になり高熱が3日続いて大変だったのですが、...なんと原因は、流しそうめんでした。

クリニックで免疫療法を受ける
標準治療に加えて、勤務先の同僚が調べていてくれた免疫療法を平行して受けることにしました。保険外診療で高額ですがここは一番、命に代えられない思いです。

クリニックの治療は、免疫細胞療法、BRM(免疫細胞療法の補助や免疫環境の改善)、癌休眠療法などがありました。私が受けた治療は、人工抗原パルス樹状細胞療法と、活性化リンパ球療法と、BRM(ピシバニールOK432、レンチナン)です。

まず、アフェレーシス(成分採血)といって、樹状細胞療法に必要な白血球の一部を取り出します。より状態の良い白血球を取るためには抗がん剤治療前が良いとの事で、5月7日に実施。
通常3時間ほどかかりますが、血管の状態が良くて2時間程で完了。

その後培養に1ヶ月。ジェムザールが火曜日だったので、クリニックでの治療は主に金曜日。
BRMと、活性化リンパ球の投与(点滴)、樹状ワクチン(両脇に各4ヶ所皮内注射。←かなり痛い。)7回、で1クール。私の場合、アフェレーシスで18本取れたので、残り11本は1クール終了後に追加で、1~2ヶ月に1本投与。

金額は、1クール終了までに約325万円、追加分が毎回13万2,825円、すべて完了までに約470万円。
これで治れば安いものですが・・・。

現在は、他の大学病院などで治験の申請が出され、治療中のところもあります。早く保険診療で出来るようになると良いのですが。

所感、雑感
がんになって初めてわかること、感じることがたくさんありました。周りの人たちの支え、励ましがどんなに心強かったことか。

勤務先や身内以外にも、娘が保育園の時のママ友や、小中高学校の時のママ友、小中学校の頃からの幼馴染、町内の人たちなど、親しい人達には隠さずに話しました。
検診を受けて欲しい事や、発見の難しいがんでは腫瘍マーカー、エコー、CTを受ける事など、伝えたいこともあるし逆に情報をもらうこともありました。

また、万が一の時を考え、一人になる娘のことも頭をよぎり、みなさんが娘の支えにもなって欲しいという思いもありました。

今回、患者会に入り、いろんながん患者さんと知り合えましたが皆さん明るく前向きで(最初からそうでは無かったと思いますが)、且つ、やはり患者同士しか共有できない思いもありますし、心のオアシスといった感じです。

患者会の波多江先生から「膵臓がんを告知されて最初から冷静に受け止められる人はそういません。飯塚さんはどうして落ち着いていられたのですか?」と聞かれ、そのときは「生来の明るい性格もありますし、なったものは仕方が無いので主治医の先生と話し合いながら治療に専念するだけです。」と答えました。

帰ってからもう一度考えてみました。さかのぼれば、私は高校が建築科で、女子はクラスに1人でした。職場も、現在では女性建築家も多いですが当時はまだまだ男性社会で、ずっと負けまいと肩肘を張ってきたように思います。その上私は、娘が5歳のときに離婚しましたので、今度は母子家庭だからと差別されることが無いようにと人並み以上にがんばってきたように思います。
それが習い性になって、がんの告知の場面でもつっぱらかっていたのかも知れません。患者会の中では、その肩の荷も降ろせそうな気がします。娘も同じように冷静というか、もう少し心配してよという感じですが、彼女も父親がいない事で色々な事を我慢し、つっぱってきたのかも知れません。

やっぱり親子、似てくるんですね。
ちょっと不憫な気もします。

さてこれからのことですが、先日もドラッグラグの問題がテレビで放映されていました。ドラッグラグや代替治療など、色々な問題が山積しています。やはり患者が動くことが一番の近道のようです。患者会の皆さんと一緒に少しでも問題解決に行動できたらと思います。患者会の存在もPRしたいと思います。

個人的には、今まで残業が多く、休みも前日までわからない職場でしたので、あまり行けなかった旅行やコンサートに行ったり、13年ぶりの書道や、新しい資格取得(合格できるまで内緒です。)への挑戦など、人生を楽しみながら治療を続けたいと思います。
(完)
すい臓がん体験記(1)
  • 福岡市 飯塚久美子/2011.2.1
Profile
はじめまして、つい先日、西日本新聞社の文化サークル「元気が出るがん患者のつどい」に入会しました飯塚です。長崎出身、博多区在住です。サークルの講師、波多江伸子先生に勧められて体験記を書くことになりました。
昭和30年生まれの55歳、19歳(大学1年)の娘が一人いる母子家庭です。
勤務先は建築設計積算監理事務所で建築士、積算士の資格を持っていますので主に建築積算の仕事をやっています。ゼネコン(総合建設業)や設計事務所が入札に当たり工事金額を出すため建物や外構の数量を(鉄筋、コンクリート、内装材等の数量)を図面よりはじき出す仕事です。現在は休職中です。


▲治療の合間に中国旅行。娘・母・妹と一緒に(左端が私)/2010年8月

発見のきっかけ
現在膵臓がんと仲良くしているわけですが、発見のきっかけは下記のとおりです。
2010年3月下旬頃おへその表面がチクチクする感じがありました。普通なら年度末の忙しい時期でこれくらいでは病院へ行かないのですが、たまたま3月31日に図面到着が遅れ午前中に時間が取れたので近くの胃腸クリニックを受診しました。エコー検査で主に胃の周辺を診られましたが特に異状は見られないということで、胃カメラを撮ることになりました。結果、胃潰瘍が見つかり念のため組織検査に回しますので後日結果を聞きに来て下さい、とのことでした。

これまで大きな病気はしたことがなく、入院もお産のときだけで健康だけは自信がありましたので軽い気持ちで帰りました。毎年の健康診断も欠かしたことがなく50歳過ぎて何も問題がないのは親御さんに感謝しないといけませんよと言われたくらいでしたから・・・。
娘の大学の入学式も済ませ、4月9日に結果を聞きに行きました。

何とびっくり!「がん細胞が見つかりました。」と言われるではありませんか。
昔と違って告知が主流と聞いてはいましたが、あまりにあっさり言われたせいか、自覚症状がなかったせいか、割と冷静に、「そうですか。」と受け止めていました。

すぐにでも精密検査を受けて下さいと言われ、4月12日に大学病院の予約が取れました。病院の選択は一刻も早くと言われた事と自宅から近い事、大学病院なら大きいし有名だからと言ったところでしょうか。結果的に良かったと思っていますが誰にも相談せず、調べる余裕もなく決めたのはどうだったのだろうと今になって思います。通常、検査入院から治療まで同じ病院になることが多いからです。

この時点で娘、妹、弟、勤務先、医療関係の友人へ検査結果を伝えました。80歳になる母には、13年前に母の妹が膵臓癌で亡くなっていることもあり、詳しいことがわかってから折を見て知らせることにしました。
母の知人が亡くなったり私の発病と同じ頃名古屋の甥が骨肉腫にかかったりで、なかなか言い出せず、4月28日にやっと電話しました。娘も弟、妹もその間が苦しかったみたいです。29日は祝日でしたので、弟がすぐに母を連れてきました。 私の顔を見て、少し痩せただけで食事もできるし歩き廻っているし元気なので、母も冷静に受け止めてくれたようです。

検査と詳しい説明
4月12日大学病院へ。消化器内科受診。入院まで外来でできる検査はやっておきましょうとの事で、次々と予約。血液検査、胃カメラ等の検査を受けました。思ったより早く、4月19日に入院することができ、引き続き大腸検査、CT、MRI等の検査がありました。

4月22日、消化器内科の主治医の先生より告知。原発は膵臓の尾部のがん。胃の潰瘍は膵臓がんによる浸潤、腹膜播種あり。ステージ4b。手術不可能、抗がん剤治療になる。今後は肝膵胆内科へ転科することになり、これ以上の詳しいことは肝膵胆内科の先生に聞いて下さいとのこと。娘と勤務先の同僚が同席してくれました。

4月23日、転科。肝膵胆内科主治医の先生が出張のため、消化器内科の先生より説明がありました。

保険診療の抗がん剤は、ジェムザールとTS-1の2種類。期待される効果としては現状維持以上。効かなければ余命半年だということでした。

この日は私一人で話を聞きましたが、ここでもあっさりと告知。
私自身は「告知して欲しい派」ですが、中には「ちょっと待って派」の人もいると思うのです。
が、ストップをかけておくタイミングが無かったように思います。又、がんの告知は治療の為に必要だと思います(隠そうとしてもこれだけの情報社会の中隠しきれない)が、治療前の余命の告知は、しないほうが良いと思います。
治療を尽くして本人の希望があった場合のみで良いのではないかと思いました。ホスピスへの転院を考えたり、患者本人の心の準備や残される者への配慮のためとは言っても、奇跡を信じたい気持ちは最後まであるような気もします。

実際、末期と言われた方が長く生きていらっしゃる例はありますし、命の長さは、人知の外だと思うのです。

▲西日本新聞社の文化サークル「元気が出るがん患者のつどい」
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