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乳がん 治療体験談

目次

私が夫に告知したのは2週間後 (再発乳がん その1)
  • とがわ のりこ/2010.9.28
初めての放射線治療に不安気な私 (再発乳がん その2)
  • とがわ のりこ/2010.10.25
生きる事の大切さを気付けて
  • A・Y/2014年
次々と発症
  • T・N/2014年
辛い手術、抗がん剤、リハビリと明日への希望も見出せないまま退院
  • M・H/2014年
アリミデックスはお守りの様なものだった
  • M・I/2014年
術後3ヶ月の私ですが(右浸潤性乳管がん)
  • T・NON/2014年
告知されたばかりの人には(乳管がん手術)
  • M・O/2014年
半年間、毎日泣き暮らして
  • Y・M/2014年
私が夫に告知したのは2週間後(再発乳がん その1)
  • とがわ のりこ/2010.9.28
Profile
がん・バッテン・元気隊事務局長のとがわのりこです。実は私もがん患者です。 それも、再発乳がんの…。

▲コスモス畑の夕暮れ

まさか…私まで?
初発は2007年初夏でした。出産から2年が過ぎた頃、授乳を終えてしぼんだ左側の乳房に、8個の悪性腫瘍が見つかりました。
当時私は、実母を看取ったばかり。胃がんからの転移・治療を4年近く繰り返した母の、四十九日も済んでいない時期でした。
母を看取って下さった先生に、たまたま「左胸にしこりが…」と何気なく言った一言が、乳がん発覚のきっかけでした。念のため、と近くの大学病院を紹介され受診すると、次から次に検査の予定が組まれました。

まさか…私まで?私も母のように逝くの?2歳の子どもを遺して?あと何ヶ月生きられるの?目の前が真っ暗になりました。

私たちは結婚直後、実家からは離れて夫婦二人で暮らしていました。私の父が要介護の身体となり、母の胃がんが分かり深刻な状況でしたので、両親の世話をするためにと夫が同居を引き受けてくれました。母が亡くなり、彼も落ち込んでいる矢先に今度は私が乳がん!なかなか言い出せず、私が夫に『告知』したのは2週間後でした。

一番大きな腫瘍は3センチ近くありました。まず、半年間の化学療法(FEC+TXT)でがんを小さくし、その後に手術で乳房全摘出・リンパ郭清をしました。
術後はホルモン療法がスタートしました。術後も、転移・再発に神経質になり、『私いつ死ぬの?どうなるの?』
どれだけ眠れない夜を数えたことか…。鬱々とした日が続きました。

▲乳がん告知を受けた頃…大切な家族

『元気が出るがん患者のつどい』の講師・波多江伸子さん
そんな頃、西日本新聞天神文化サークル『元気が出るがん患者のつどい』の受講生募集広告が目に留まりました。元気が出るならば…と思い参加を決めました。
講師の波多江伸子さんを中心に、同じ病に悩む気持ちを分かち合い、また母のように姉のように寄り添って下さる皆さんと過ごす『つどい』は、私にとって気持ちの安らぐ居心地の良い場になりました。

誰かの悩み・再発・転移・治療方法など、皆で考え最良の策を講じていく。時には家族の愚痴もこぼしつつ…。
波多江伸子さんは『がん・バッテン・元気隊』の代表でもあります。元気隊主催の博多どんたく港祭りパレードにも誘っていただき、『つどい』のメンバーも黄色いTシャツを着て参加しました。『私達がんだけど、こんなに元気に笑顔で生きてますョ~!』との思いをアピールするために。

そうしてやっと、がんと向き合い暮らせるようになってきた今年2010年夏、再発・転移が発覚しました。

乳がんは、再発させないことが治療の目標でもあります。再発すると事態は深刻です。初発時のように、がんを消し去る治療ではなく、現在の生活レベル(QOL)の維持を優先に考えた緩やかな治療になります。それで、どこまで生きていけるかです。

現在、私の主治医は、ちょっと強面(先生ごめんなさい)だけどとても優しく、私が生きるための方法を一緒に考えて下さるK先生。今年の初めに、家の事情や通院の都合で、初発時の手術・治療とお世話になった大学病院から転院して廻りあえた先生です。
患者さんも多くお忙しい中、私の質問にも丁寧に、難しいことも分かりやすく説明して下さいます。
これは、当たり前のようですが、そうでないお医者様も結構おられることを、患者会ネットワークの事務局をしていると聞くことがあります。信頼できる医師に出会えた私は幸運でした。

▲再発の夏…庭の朝顔 (2010年夏)

再発が確認...頼れる仲間たちがいる安心感
再発を告げられたのは、定期のCT検査を受けた後、診察室に呼ばれた時。転移・再発への不安はありましたが、特に痛みもなく不調でもなく、また今回も『異常なしやろ』と思っていました。

私の初発時の状況をご存じないK先生から、『3年前は、どの辺りに腫瘍があったか覚えてる?』と尋ねられ、私は『ん?一番大きいのはこの辺でした』と左胸の中央寄り上部を指差しました。
先生は深くため息をつかれました。

初発時に大きな腫瘍があったごく近くのリンパ節が2センチほどに腫れていたのです。その後、PET・MRIと検査を重ね、再発が確認されたのは、両側胸骨傍リンパ節と左鎖骨上リンパ節の合計3か所、それに右肩甲骨に骨転移が1か所でした。

臓器には転移していない?治療は何ができる?手術はできる?放射線は?抗がん剤は何が使える?知りたい疑問が次々に湧いてきます。

K先生からは、標準治療として何ができるのか丁寧にゆっくり説明していただきました。何種類もの薬(化学療法)が使用可能だということ、今後も新しい治療薬が出てくるであろうこと。がん患者の先輩方から教わった知識や、頼れる仲間たちがいる安心感も私の心を落ち着かせ、初発のときより冷静に説明を聞き、治療の選択・判断ができたように思います。

さぁ!これからが勝負!!私の底力の見せ所です。
初めての放射線治療に不安気な私(再発乳がん その2)
  • とがわ のりこ/2010.10.25

▲リニアック装置。上部から水道蛇口のように飛び出しているのが放射装置

再発後の治療について
やわらかい陽射し、虫の声、深まり行く秋を感じるようになりました。
猛暑日続きのこの夏、身体がきつかったのは、再発乳がんの治療をしていたから?それとも、再発してなくても辛い暑さだったのか…どちらにしても、暑さにも治療にも堪えて乗り切らねばなりませんでした。

7月中旬、再発・骨転移箇所の確認ができると早速、今後の治療について主治医K先生とご相談です。標準治療として出来ること、使える薬剤の種類など説明していただきました。

最善の治療を選択するために、患者会の先輩方や外科医の従兄弟にも意見を求め、最新版「乳癌診療ガイドライン」の情報も参考にしました。
そして私が選択した治療法は、以下の内容でした。

1.骨転移については...
ビスフォスフォネート(ゾメタ)点滴が必須と「骨転移の先輩方」から聞いていたので、判明したその日から点滴を開始しました。これは3~4週間毎の点滴です。

2.胸骨両傍リンパと鎖骨上部リンパにある再発に対しては...
まず放射線治療(25回照射)、その後に抗がん剤治療(パクリタキセル+ジェムザール)をウィークリー(3週間1クール)エンドレスで受けます。

3.2年半前の手術後から続けていたホルモン療法については...
服薬(ノルバデックス)は中止、4週間毎の腹部への注射(ゾラデックス)は続行することにしました。

放射線治療の「位置決め」
さぁ、こうして始まった再発・転移の治療、まずは放射線治療からご紹介です。
7月末から始まった放射線治療。初発時は、手術で乳房・脇のリンパ節まで全摘だったので、放射線治療は受けていませんでした。
初めての放射線治療に不安気な私に、肺がん術後に放射線治療を受けられた先輩は、「大丈夫!照射してる間は痛くも痒くもない。ほぉ~んの数秒、ジッとしとくだけやけん」 と教えてくださいました。お陰様で安心して放射線治療を受けることができました。

初めての放射線科受診日。診察と照射範囲の説明や、25回の照射期間中は月~金曜日×5週間は毎日の通院になること、そして皮膚炎・間質性肺炎・食道炎などの副作用について、細かく説明を受けました。
その後『位置決め』がありました。
位置決めとは、CTで腫瘍部分を確認しながら、毎回同じ位置に照射できるように身体に目印をつけていく作業です。お風呂に入っても消えにくい紫色のマジックのようなものや水シールみたいなもの(水で濡らして貼ると落ちにくい)で、腕や身体に印がつけられていきました。

そうして始まった放射線治療、リニアック室に入ると上半身は専用の検査衣に着替えます。着替えると治療台に横になり落ちないようにバンドで固定され、台が上下左右に動き台の位置決めです。

台の位置が決まると、身体を左右に少しずつ動かされ身体の位置決めです。身体の位置が整うと、照射装置が胸から数十センチの所まできて、照射範囲(ライトで照らされる)と身体の印とを合わせていきます。

どの作業もミリ単位の微調整で、技師の方々は毎回同じ位置に照射できるよう細心の注意を払っておられました。本当に、治療自体は痛くも痒くもなく進んでいきました。

▲5週間…消えかけては書き足してもらい、なんとか消えずに済みました

放射線治療の副作用
その1.食道炎
照射開始から2週間が過ぎた頃、食事の時喉に違和感を感じるようになりました。それでも無理して食べていたら嘔吐してしまい、微熱気味です。
翌日、先生に症状をお伝えすると食道炎でしょうとのこと。
食道部分にも放射線が当たっており、食道の内壁が火傷したような状態になるそうです。早速、食前服薬で粘膜を保護するドロッとした水薬と、胃炎の症状を緩和するお薬を処方してもらいました。

しばらくは飲み込むのが辛くもありましたが、食材を軟らかく煮る、細かく刻む、ポタージュにするなどして食べ続けました。どうしても痛くて食べられない時は、栄養補給用のゼリー状ドリンクが役に立ちました。

「採血をして、栄養状態が悪くなっているようであれば、入院して点滴を…」と先生がおっしゃったこともあり、入院したくない一心で栄養補給に努めました。
その甲斐あってか、入院することなく栄養状態も保ちながら5週間の放射線治療を終えることが出来ました。

疑問を尋ねると優しく教えて下さる先生や若い技師の方々・看護婦さん、皆さん気持ち良く接して下さるので、治療が終わる頃には少し淋しささえ覚えたほど、過ぎてみればあっという間の5週間でした。

その2.皮膚炎
と、ここで放射線治療はおしまい…に出来ればよかったのですが、副作用はまだ残ってました。
皮膚炎です。
放射線照射終了から2週間が過ぎる頃、首の後ろがヒリヒリします。汗疹かな?と思いつつ数日を過ごしました。

ヒリヒリ感は背中に広がり、次第に痒みも加わってきました。自分では見えない背中を、合わせ鏡で見てビックリ!

背中が真っ赤です。しかも、身体の前面からあてた放射線が、身体を通過して背中から出ましたよ~という形そのままにクッキリと赤くただれています。

この時、痛くも痒くもなく目にも見えなかったけど、放射線が私の身体を通過したんだ!!と初めて実感しました。

▲照射終了20日後の背中


▲照射終了40日後の背中

ステロイド軟膏を塗って様子を見ていましたが、広範囲でもあるので保湿クリームと1日毎に塗り分けて様子を見ていました。
ちょうどその頃、先輩患者の方から『オリーブオイルが良いらしいよ』と伺い、使い方を詳しく教えていただきました。

オリーブオイルを塗り始めてしばらくすると、赤みが引き始め、皮がむけヒリヒリしていた部分も落ち着いてきました。照射終了から2ヶ月近くなる今では、皮膚の色もほとんど分からないくらいまでになりました。

この皮膚炎に気づく少し前に、抗がん剤治療がスタートしましたが…それはまた次回。
生きる事の大切さを気付けて
  • A・Y (博愛会病院 乳がん患者会ハートの会)
平成23年4月14日、右脇下の乳房温存手術を受けました。
右脇下に第3の乳が有り、それが乳がんになるという非常に珍しいケースでした。

がんの場所が脇下だったのでリンパへの転移が非常に心配だったのですが、幸い転移もなく今も元気です。

実はがんになる2年前に個人的に不幸な事があり、精神的にどん底で全てに対して無気力でした。もちろん生きるという事に対しても。
生きる意味さえ分からず、自分の人生は終った様にさえ思っていました。
皮肉な事にそんな状態の私ががんと告知されたとたん“まだ、死にたくない!!もっと生きたい!!”と心の中で叫んでいました。

死ぬ事が恐ろしくてたまりませんでした。

がんになったのは不幸な事だけど、それが“生きたいんだ!!”と気付くきっかけになりました。

生きる事の大切さを気付けて本当に良かったです。
また、がんになったから、ハートの会の方々とも出会えて嬉しく思います。
これから、元気に、楽しく、悔いのない人生を送りたいと願っています。

わたしは、今、生きています。
生きていることに感謝しています。
次々と発症
  • T・N(博愛会病院 乳がん患者会ハートの会)
21年前の春、乳がんの告知を受けて半月後手術し、完治して三年後、甲状腺にもがんが見つかり、大きく首を開いて摘出。四年後には胸骨がん。そして八年後には左乳房にまたもがん。

次々と発症したものの、その都度克服して今の私がいる。
あの頃は、家族に伝えることが苦しく隠して悩んでいた。

2、3度重なると、人が心配するほどには本人は恐いものではないと思い至った。
乳がんには動じない私も、娘の肺がんを聞けば心が折れてしまう。

私の遺伝子を継いだ宿命を哀れに思い、身代わりになっても助けたいと思っている。
92歳の夫の介護を三年間家で看、要介護4となった昨年から入所させ、乗り継ぎしながら見舞うのが日課になった。

25年前から教えていた硬筆のサークルもまだ続けている。
思えば平凡で病を知らなかった前半。
後半はがんとの闘いだった。左右とも渡辺先生に執刀していただき、今も検診を年1回している。

がんになって得たものも多い。
心豊かなハートの会の友人、先生方、苦楽をともにした20年間ハートの会によって心の安らぎを持てた歳月。

同病という強い絆でこれからも余生をぼけずに皆さんと語りたいと84歳となった今の私でさえ思うのは老の繰り言だろ うか。
辛い手術、抗がん剤、リハビリと明日への希望も見出せないまま退院
  • M・H(博愛会病院 乳がん患者会ハートの会)
辛い手術、抗がん剤、リハビリと明日への希望も見出せないまま退院して十数年の歳月が経ちました。

少年だった息子が病院に来て「お母さん、僕のせいで病気になったの?」と言うので「全然関係ないよ」と否定しました。前年に自分が大病して心配をかけたせいだと思った様で、その時のことを思うと今でも涙してしまいそうです。

退院の日、ハートの会に入会しました。とても良いご縁を頂き今では大切な仲間に会えるのが楽しみです。
「生きぬこうね!新しい治療法も出てくるから」と励まし合い支えられ、今では病気の事も忘れています。

オリンピック招致のプレゼンテーションで佐藤真海さんが「神様は乗り越えられない苦しみは与えない」とお母様が言われたとか、とても印象に残りました。

自分も色々あったけど乗り越えてきたではないかと思いを深くしました。
急速に若者世代からオトナ化している現代、おばさんパワーでガンバり、人生を楽しみたいです。会も10年を祝い20年になりました。

明るく前向きな楽しいつどいの場になっています。
生かされている毎日に感謝しながら皆さんとの絆を大切に一緒に歩んで行けたらと思います。
アリミデックスはお守りの様なものだった
  • M・I(博愛会病院 乳がん患者会ハートの会)
2004年4月13日に左胸の手術をして、一度右胸の方にもあやしい物が...という事があり、詳しい検査を受けましたが、何もなく無事乗り越え、やっと10年を迎える事が出来ました。

がんの性質があまり良くなく、アリミデックスというホルモン剤を10年飲みました。
現在、CEAという腫瘍マーカーが基準値を若干はみだし上下していますが、これ以上飲んでも効果や副作用の程がわからないという事でアリミデックスとさよならする事になりました。
飲んでいる時は、副作用、副作用と心配していましたが、いざ、お別れとなると再発・転移するのではと不安です。アリミデックスはお守りの様なものだったのです。

私にとって乳がんになったのは一大事な出来事でしたが、病気になってなかったらきっと巡り会える事もなかったと思える方々と知り合えたのは素敵な事だと思っています。

薬と別れて不安も有りますが、これから色々な出会いを楽しみ、大いにお喋りをし、美味しいものを食べ、たまには旅もして毎日沢山笑った過ごして生けたらと思っています。
術後3ヶ月の私ですが(右浸潤性乳管がん)
  • T・NON(博愛会病院 乳がん患者会ハートの会)
病歴: 2013年10月右浸潤性乳管がん告知。
10月、12月、2月、と3回の手術を受け、現在に至ります。

癌という大病を患ったために、出会えた仲間や本は掛け替えのないものです。
大病を患い、日々、友達や家族の優しさを感じます。
残された人生の時間は今までの自分とは質が異なるように思います。これまで、本当によく頑張ってきた自分に「お疲れ様、これからは少しペースダウンしてスローに生きていくので、よろしく!」と声をかけ、まずは自分の好きな事から始めてはいかがでしょうか。

術後3ヶ月の私ですが、何かお役に立てる事がありましたらお声をおかけください。
告知されたばかりの人には(乳管がん手術)
  • M・O(博愛会病院 乳がん患者会ハートの会)
病歴:平成15年11月1日に九州大学病院で右側の乳癌手術

自分自身のことを振り返って思うことは、同じ様な境遇の人達に随分助けられたなあと感じています。人それぞれの考えがあるかとは思いますが、
「ひとりじゃない。たくさんの仲間がいる」と思うと、心に少しゆとりができそうな気がします。

告知されたばかりの人には、とても辛い、悲しいことかもしれませんが。。。

前向きに進めたらいいですね。
半年間、毎日泣き暮らして
  • Y・M(博愛会病院 乳がん患者会ハートの会)
あれから17年。←ここでキミマロさんのフレーズを思い起こさないで下さい((^_^)

よく生きながらえたものです。
がんと告知されれば、やはり死という言葉を意識します。
博愛会病院までの道すがら、颯爽と行く人たちがよそよそしく思えました。

半年間毎日泣き暮らしたものの、「家族に美味しいものを食べさせたい」との思いが、一歩を踏み出す原動力となり、ハートの会へ電話をしました。
電話の向こう側で一生懸命に励ましてくれた、今は亡き矢山さん(初代会長)の言葉を思い出します。

「1日だけは沢山泣いていいよ。でも、次の日からは立ち上がろうね。
 乳がんでは、死にはせん!!」

今はご恩返しと思って代表をさせていただいていますが、ハートの会を名乗るとき、矢山さんと会の皆さんの温かい心が私とつながっている事を感じながら、誇らしくその名を言います。

20数年も続いている患者会はそんなにはありません。
継続は力なりの言葉を実証している会です。
これからも会員一人一人の心をつないで元気で生きていきましょう!

ハートの会での素敵な出会いが、病気をする以前の私より行動的となり、豊かにふくらんだ楽しい私の人生です。
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